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無端如環

東洋医学を始めとして、色々な事について書いていきます。

祝由③

一の会 祝由

祝由の最後は、技としてまとめられた部分の簡単な紹介です。

 

 少量の薬を用いる場合と用いない場合があり、主に祝由師の意念が用いられる。符咒が生む磁場によって各種の疾病を治療する為、祝由師に要求されるレベルは高い。多くの戒律を必ず遵守する必要があり、その上で現代で言う気功の修練が必要となる。

 

 祝由は、施術者が心を正し、邪を払い、高尚な徳を備え、名利を不要としている必要があり、施術時には全身リラックスして身体を真っ直ぐにし、雑念が起こらない状態にして、対者を見る。神秘的な所作や封建的な迷信動作は不要で、人に受け入れられやすいよう臨機応変に行う。

 

 祝由には、患者に対する要求もあります。患者が施術師を敬い、素直に受ける体勢でいること。

 

その上で、以下のように、疾患毎に異なる図象を黄色い紙に赤字で記し、咒を唱えます。

これは、大北斗咒と呼ばれるものです(祝由科・乾に記載)が、

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北斗真経の北斗七元神咒には、

 

北斗九辰、中天大神。  上朝金闕、下覆崑崙。  調理綱紀、統治乾坤。

大魁貪狼、巨門禄存。  文曲廉貞、武曲破軍。  高上玉皇、紫微帝君。

大周天界、細入微甚。  何災不滅、何福不臻。  元皇正炁、来合我身。

天罡所指、晝夜常輪。  俗居小人、好道求靈。  願見尊儀、永保長生。

三台虚精、六淳曲生。  生我養我、護我身形。  急々如律令。

 

と書かれています。

 

 ”魁[鬼勺]魋[鬼行][鬼畢][鬼甫][鬼票]尊帝”がないだけで、ほぼ北斗真経の祝詞そのままです。

 

 昔の治療家である、孫思邈や張介賓も少し記していますので、興味がある人は読んでみてください。

 

 この祝由術から得られる事は、

 

 施術家は、心を正し、知識をできるだけ備え、施術による自分の利は置いておいて、リラックスして施術に向かう事。

 

 その清らかな空間に患者を入れる事で、患者を同調させ、又施術者自身は患者の悪い状態を同調することによって感得する事で、自然とどうすれば良いか、体が動くということです。

 

 鍼灸師も施術の前には、このような態度と修練をしておく必要がありますね。

祝由②

具体的に色んな方面から見てみます。

 
一般的には、宣伝も一つの祝由術です。
 
自分の治療法を伝えると言う事は、先ずこの治療法の枠組み(太極)に入る可能性がある患者を引き寄せ、同一空間に入れています。
 
宣伝は、広告だけでなく、権威や知識の披露もその範疇に入ります。
 
チェックポイントとしては、共感・同調を誘導し自分の空間に入れるようにコントロールすることです。
 
診察が始まると、主訴から様々な問診事項を聞いていきますが、患者の無意識に原因を問う事は、祝由(病の原因を告げる)ですね。
 
施術者が自分のペースに持っていけない、自分の空間を作れない、しゃべれない状態で施術だけして、そうでない通常の施術の場合とどのくらい効果に差異があるか比べてみてください。
 
まぁ、そんな不誠実な事をできる治療家はいないでしょうから、治療し始めの頃や治療は効果を得ているはずなのに、今一つ患者さんの反応が悪い時を思い出してください。
 
きっとその時の心持ちと今では自信のあらわれの違いが見えるでしょう。
 
これも施術を行う前に調えておくべき事です。
 
言い換えると、心がなくても技で人心を惑わす事ができ、人をその空間に入れさえすれば、心身をコントロールできる可能性が高くなります。
 
怪しい商法でもよく使われる手ですね。
この辺の区別が難しい為、又人間が言葉を使い始めてから自然に熟成されているテクニックである為に相手とその技術力によって効果に大きな差違が出る事が祝由の短所とも言えます。
 
見えない心神の気を動かす際に、不安定要素が高いものですが、空間に入れば抜群の威力を発揮するのが、祝由だと考えています。
 

祝由①

黄帝内経・素問『移精変気論篇第十三』に記載されている治療法の一つです。

 

原点の訳に関しては、金澤先生が「鍼灸医学の懐」に記載されていますので併せてご参照ください。

daikei.ichinokai.info

 

この祝由は、春秋時代には巫医と呼ばれる、巫と医がまだ未分化の職業の下で行われていた方法で、唐(太医署に設立された咒禁科)から明の時代(太医院に設立された十三番目の科)までは国が医療機関の1つとして設置していました。その為、この治療法は薬物療法に祈りやカウンセリング、加持祈祷等を加えたようなもの、怪しく医術としては未発達のものと勘違いされそうな記述がされる事が多く感じられますが、果たしてそうでしょうか?

 

   確かに、上記のテクニックとしての側面もあったでしょうし、日本では霊術、感応術として明治時代までは存在していたものでもありますが、易の観点と内経の観点を合わせると、

 

   祝由→導引→按矯→毒薬→鍼灸ですから、

 

   祝由は0もしくは1に当たります。気一元を考えると、術者と患者の空間、気を調え、気の乱れの原因を探るものですから、最終的には鍼をするとしても、施術する以前の隠れた前提条件となっていると考えています。

 

  つまり僕は祝由を0・混沌とは捉えず、治療法としては1と考えています。

 

   内容としては、呪符を貼りながら呪を唱えるものが、流布していますが、それ以前の空間の調和にも言及しており、鍼灸ではこの空間構築が重要だと思っています。

 

   先ずは、施術者自らの身体と心を清める事。当然日常生活、飲食に関しても節度が必要です。

 

  次に、施術空間は静かで落ち着きを持たせる事。

 

  最後に、施術者と患者の相互感応。施術者は患者の心身状況を同調することで把握し、患者は施術者の心身の安定に同調するように施術者が導く事。

 

   一見当たり前のように見えますが、これをどこまで真摯に追求しているか、そして深みに入ると、印堂穴に意識が集中し、施術者がその空間を支配できます。これは実感を伴った経験ですが、スポーツで言われるゾーンの状態を意識的に作ります。

 

   鍼灸では、場所、雰囲気、話し口調、八綱弁証、診察等の中で作っていますが、これを意識しながら無意識に落とし込んでいる人と意識せずに天然のままの人では、色んな面で異なります。

 

 

 

 

 

 

 

 

兌為沢

八卦 六十四卦 一の会

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八卦最後の1組が兌と艮です。

 

兌は陰爻が1つ上にあり、陽爻が2つ下にあります。

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エネルギーの出口、或いはその場を区切る為の出入口として観る事ができる為、

 

人体では肺が相当します。

 

季節では秋、1日では寅(3時〜5時)と申(15時〜17時)。

 

丑寅の方角は、北西となりますが鬼門ともよばれるのは、

この寅の刻が子の刻から貯めてきたエネルギーが徐々に出てくる為、夢を見やすい時間帯でもあります。体内に熱をたくさん持っている場合は寝相だけでなく、悪夢も見やすいので、時間的にも丑寅(肺・大腸)の時間は気をつけるべき指標です。

 

兌為沢は、気は通るが節度を保つ事が大切であると言う意味を持ち、これは東洋医学において、肺は治節を主どると言われている事と通じます。

 

流れとしては、

 

1、人や気が調和する事で喜びがある。

 

2、誠実にすることで自他共に喜べる。又、悔いがなくなる。

 

3、迎合するような状況でも喜んで受け入れざるを得ない時であり、良い状態ではない。

 

4、より良いものを得ようと葛藤する。正しくない方をしっかりと見極め、避けていけるようであれば本当の喜びがやってくる。

 

5、よこしまなものに対しても誠意をもって対応する。

それによって、危機に陥ることもある。

 

6、巧言令色で人を引きつけて喜ぶ。口先三寸で満足していれば、未来は暗いが今の自分の目標が低すぎるからである。

 

兌為沢は、八卦の三爻が示す形から分かるように、一番上に隙間があります。つまり、上から色々なものが出ていく可能性もあるのです。又、取り入れられる可能性もありますが、水が関係している為、少し悪い現象を象徴しています。

 

 

艮為山

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八卦最後の象は、艮為山です。

 

艮は、陽爻が上に1つ、陰爻が下に2つあります。

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つまり、大きな物体の上に気が流れているところから、山や停滞を表しています。

 

艮為山は、停止、心が欲にまみれず節度を守って止まっていれば、欲をかき立てる物の前でも、目にとまらず、心も揺れない。問題はない。

 

流れとしては、

 

1、足が止まり動かない。自分の立場を守るべき状態で、固く守ろうと思っているなら問題となる事は無い。

 

2、ふくらはぎを止める。妄動する事に意見を出すが聞いてくれないので、不愉快となる。

 

3、腰を止める。無理に動くなら腰骨が砕ける。その危険度は心を焼き尽くすほどである。

 

4、上半身を止める。消極的に行動するなら問題ない。

 

5、口を止める。言葉を慎み、言う事に秩序を持てば悔いはなくなる。

 

6、止まるべき所でしっかり止まれば良い。

 

基本的に常に変化するはずの易において、停止をメインとする卦は止まる事であまり良くない事が起こります。その為、5爻までは余り良くない状態ですが、最後の上爻では流れる時は流れ、止まる時は止まれば良い状態となっていくと示されています。

 

離為火 

一の会 八卦 六十四卦

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坎と対をなす卦が離です。

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坎が水をイメージしたものであったように、離は火をイメージしたものです。

陽爻二つに挟まれた陰爻。ろうそくの芯と火をイメージしてもらうとわかりやすいのではないでしょうか?

 

この坎離は水火と考えられ、六十四卦の最後にも、水火既済(すいかきせい)、火水未済(かすいびせい)という卦があり、ここから東洋医学の心腎相交、心腎不交という表現が生まれています。

 

離為火は、易経では知恵に明るい、太陽などを意味しています。この卦には、正しい道を守っていれば気は通る、従順さを持って行動する事で良い結果が得られるという事を示しています。

 

その流れは、

 

1、まだ知恵も暗く、空も暗いので、つまづく可能性があるほど足元が危ない。慎重に事を行えば問題はない。

 

2、太陽が黄金のように輝き、大変良い。

 

3、日が西に傾くように、人生にも夕暮れ時が訪れる。心が喜ぶ事を存分に行って楽しむほうが良い。それができなければ、いたずらに老衰を嘆く事になり、良くない方へ行ってしまう。

 

4、突然やってきて、焼かれて、殺され、捨てられる。

 

5、涙が止まらないほど流れ、傷つき、憂い嘆く。今は危ない時だという事を理解して、慎めば良い方向へ向かう。

 

6、決定的な場面で、正道から行動し、結果を得る。大きな成果は出るが、些事には気にしない。このような寛大さがあれば、のちに問題が起こる事はない。

 

突然四爻、五爻で悪い状態になるのは、乾為天の上爻と同様、

一時として同じ状態はなく、良い状態が極まれば悪い状態に転化する可能性をいつもはらんでいる事を、小さな事でも人生でも常に考えておく必要がある事を教えてくれています。

坎為水 

一の会 八卦 六十四卦

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坎は陰爻二つに陽爻が挟まれた形をしています。 

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この形を90度回して、陰爻を斜めにすると、「水」という漢字になります。

 

水という漢字の語源とも考えられる「坎」という卦。

 

全体としては、水という冷たくて、動きのないものです。

 

これが流れる様を描写したのが、中央の陽爻です。

 

人体では腎を示していますが、二つの腎臓という陰の間に元気が流れている事を示しているのでしょう。

 

水というのは、占筮でも、観相でも余り良い卦ではありませんが、東洋医学でも病理では良くない状態です。

 

東洋医学の生理では、先天の元気として扱われています。

 

そして、「天一水を生ず」と言われ、五行や八卦の形として、始めに来るのは水です。

 

昔の書物も、水や冬から書き始められ、暦も冬至から始まり、十二支を配当した十二月でも、子月(ねづき)が11月なのは、この水をあらわしています。

 

坎為水には、危険、落とし穴という意味があり、苦難があっても誠の心を貫けば達成でき、思い切って行動すれば大きな成果となって賞賛されると考えられています。

 

流れとしては、

 

1、深い穴の底に落ち、抜けだす道が分からない状態。

 

2、穴に落ちて危険な状態。なかなか抜け出せないけれど、一生懸命努力すれば、抜け出す道が少し開ける。

 

3、どうやっても穴があり、止まっても深い穴に落ちる。何をしても無駄。時が来るのを待つしかない。

 

4、酒と備えものを質素な器に入れてそっと差し出す事で、最終的には穴から抜け出せる。

 

5、水が溜まって穴の縁に達する事で、浮き上れば抜け出せる。

 

6、太い縄で縛られ、いばらに囲まれた牢獄に閉じ込められる。

三年間は出られない。

 

三爻、四爻、五爻には問題解決の糸口が多少ありますが、苦難の道には変わりません。