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無端如環

東洋医学を始めとして、色々な事について書いていきます。

無極

一の会

極まりがないと言う事。

無、無限、無限光等と区切る考え方もあり、無極も様々な角度から見ることで、様々な名前があります。
 
例えば
 
混沌と言う表現が荘子の応帝王篇に書かれていますが、無極を示しています。
 
太易と言う表現は列子に先天五太として書かれていますが、無極を示しています。
 
 全て、はっきりしない、無の状態と言えば簡単に表現できますが、そう表現してしまうと、場合によっては違和感が発生してしまいます。
 
 先天五太と言う考え方に示されている、太易は無極から太極へ至るまでの5段階の内の第1段階とされ、あらゆる「道」と言われるものはこの考え方の方が親和性が高いかもしれません。
 
太易(認識できない、認識する事を理解できない)
太初(認識できないが、認識する必要があると理解、感得する)
太始(認識するには、どうすべきか、優先順位等を決定し始める)
太素(認識していなかったものを認識する手段を得て、大きく変化する)
太極(一つの枠組みでの認識方法を確立する)
 
無極も易学理論に従うとこのように順番に変化します。
 
 これを縦横無尽に使うと禅問答のようになり分かりにくくなります。
  無極は太極であると言う考え方と無極から太極であると言う考え方があるからです。
 
  無極は、易学理論に照らし合わせると一つの太極ですが、無極から太極への変化を表す場合、五行で表す事もできています。
 
  具体的に言うと、
 
①何かを極めたい、或いは生業としたいと考えるとします
 (無極であり、太極であり、太初)
 
②修得に必要な事柄を理解し、実行します(無極であり、太極であり、太始)
 
③一通りマニュアルを体得し、自分なりの方法に応用できる兆しが生まれます
 (無極であり、太極であり、太素)
 
④自分なりの確固たる方法論を確立できます(無極であり、太極)
 
4つに区分しているのは、完全な無極は省いているからで(四象)、実際に使うためには、まず自分が今の時点で無極(太易であり、太極)である事が認識できていなければ変化できませんので、運用には太易→太初→太始→太素→太極と考えます。
 
   無極であっても、細分化すると易学理論が当てはまります。
 
  東洋医学としては、内経医学の素問・移精変気論に示されている、
①祝由(コミュニケーション能力、望診、問診)
  ↓
②導引(呼吸、聞診)
  ↓
③按蹻(切診)
  ↓
④毒薬(漢方、腹診)
  ↓
⑤鍼灸
 
をこれに当てる事ができます。
 
  つまり、八綱弁証を基本とした弁証法を駆使する際には、四診で鍼灸師の最大限の能力を活用する必要があり、それ以前の患者さんへのアプローチまでが治療に含まれているのです。
 
 

易学と東洋医学④

一の会

さて、一旦易学の概要を簡単に纏めてみます。

 

1、あらゆるものの時間と空間、それらの関係性は全て易で表現でき、全て繋がっている。

 

2、無極から三百八十四爻が、易の太極。

 

3、三百八十四爻から先は無極となり、環のように循環している。

 

4、逆戻りしても見ているものは同じ。

 

5、位置によっては意味や作用が逆転する。

 

6、イメージと数と易の理論が全て合う事が大切。

 

と言ったところでしょうか。

 

  内経医学では、これを太極から八卦に纏めていますが、現在の東洋医学では太極は太極陰陽として考え、五行は五行相生相剋として考えて、デジタルになりすぎている気がしています。

 

因果応報や情けは人の為ならずと言った言葉もこの事を端的に言い表して、潜在意識に定着させようとするものです。

 

次回からは、無極、太極、両儀、太極陰陽、四象、四象五行、八卦、八卦九宮について、もう少し詳しくみていきます。

易学と東洋医学③

一の会

    易は全ての物事を小さい範囲でも大きな範囲でもどんな角度から見ても理解する事ができる規則を教えてくれます。

 
    何にでも応用できなければ易とは言えませんが、何にでも応用できると言いながら規則があると言うこと自体が、ある見方の範囲を限定している事(太極を作っている)に注意しておく必要があります。この時点で無極ではなく太極を示しています。
 
    そこには前回記したような流れがあり、その流れは輪のように循環し、元に戻っても見方が違うだけで同じもの(太極)を見ています。
 
   例えば、1日。
 
   朝で始まり夜に終わります。こう表現すると、太極陰陽で見た見方です。
 
   午前、正午、午後、深夜も1日です。こう表現すると、四象での見方となります。
 
   早朝、朝、午前、昼前、正午、午後、夕方、夜とすれば太陽を基準として考えた1日で、八卦で示しています。
 
  同じものでも、区切り方によって見えてくるもの、見たいものが変わります。
 
  東洋医学にもう少し落とし込んで考えてみると、元気を3つに分けて衝・任・督とし、
 前方(呼吸・清気)、中間(穀気)、後方(運動・元気)を示しています。これは、更に上中下に分ける事で三焦とし、1人の人を立体的に表現しています。また、他の五つの脈を想定して、奇経八脈として違う角度でも表現しています。
 
   太極(1)を陰陽両儀(2)に分ける事で、軸となる衝脈を浮き彫りにして、太極陰陽(3)で人体の状況を把握しようとしています。
 
  これは、老子が言う「一生二、二生三、三生万物」にも繋がります。発展して繋がり、元に戻る、循環性と可逆性を備えた易の大綱です。
 
  このように、イメージと易の規則(易理)と数が一致する事も易にとっては大切で、それが東洋医学の根底に流れています。
 
  

易学と東洋医学②

一の会

 易学の見方は、西洋的な見方をしていると言われるものであっても根底では一致し、一致させて見ることで微妙な差異を噛み分けられます。

 
 例えば、東洋的に1年を分けると四季、十二月、二十四節気、七十二侯と言う分類があります。
 
 1年と言う地球の公転周期を太極として、4つに分けたり、4つを更に12、24、72と分ける事で見えない変化を感じられるようにしています。
 
 西洋的には四季と12ヶ月です。同様に4つに分け、更に12に分けています。
 
 大きな変化は太陽を軸とし、小さな変化は月や星座を軸としています。当然人体でもこの規則が当てはまるのです。
 
こうして考えると、東洋医学が2つに分けたり、上中下3つに分けたり、12に分けたりしているのは、見えない気を違った角度や焦点で見ようとしている事が分かります。
 
   点から線、線から面、面から立体へと展開し、集約すれば又点でも表現しているのが経穴から経絡、経絡から三焦、三焦から八卦・九宮と言う考え方で、これに可逆性と循環性が備わっています。
 
   人体と言う気体と液体を主とした立体を理解するために、八卦・九宮で表現したり、三焦と言う三分割で見たり、経絡と言う十二分割で見たりしながら、一点の経穴に落とし込んでいるのが東洋医学の鍼になります。
  

易学と東洋医学①

一の会

初めて東洋医学を学んだ時に一番気になったのは、陰陽って何?と言う事でした。

 

その答えもないままに、中医学を学び、古典に接してまたもや陰陽に法っとり…と言う言葉を目にした時にこの問題を解決しなければ前に進めないなと感じたのです。

 

そして、その答えは周易を学んでやっとおぼろげながら見えてきました。

 

東洋医学をより深く、しかし簡単に理解する為には易を知る事が不可欠です。

その易も漠然と示されたり、マニアック過ぎて理解するのが難しく感じる人も多い事でしょう。

ここではできるだけ簡単に易について書きます。

先ず易には無極、太極、両儀、四象、八卦…と言う考え方があります。

これは認識論として用います。
つまり、どのように考えたら良いか分からないものがあれば(無極)、認識する範囲を設定し(太極)、その(太極という)枠組みの中で陰陽(両儀)を考え、細分化して4つの分類(四象)、8つの分類(八卦)としていくのです。

これが太極陰陽と呼ばれ、土を中心とした四象五行と呼ばれ、土を中心としながら四正四隅に配置させた八卦九宮となります。

専門用語が多く、難しく感じる人は次のように考えてください。

①分からないけど、理解したい事がある。
(無極)

②理解する為に観る範囲を決める(太極)

③太極の範囲の中を陰陽と言う属性に分けて二分化する。
(両儀)

④更に二分化して四種に分ける(四象)。

⑤更に二分化して八種に分ける(八卦)

以降、二分化を繰り返すと、理解が深まる反面、
細分化し過ぎれば本来理解したかった事が難解になる可能性があり、そうなれば①に戻ります。

必ずこのような流れがあり、この流れが一定の範囲(太極の中)で可逆性を持つ事を「道」と呼んでいるのです。

 

そして必ず、循環します。

可逆性と循環性と言う変化がなければ易とは言えません。言い換えればこの条件を満たせば、どんな事象でも易理に法っている、陰陽に法っていると言えます。