無端如環

東洋医学を始めとして、色々な事について書いていきます。

坤為地 

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乾為天の次は坤為地です。

 

乾坤一擲と言われる言葉には、天地をかけて一投する、と言う意味があります。

 

乾為天、坤為地は文字通り天地をあらわしています。

 

そこから、乾は父、坤は母とされる時もあります。

 

同時に、目に見えない、無極の間の陽が乾、陰が坤とされてもいます。

 

その為、人は乾坤が交わり、父母の愛を受けて人となるとも考えられていました。

 

坤は地をあらわしますが、方角では南西、十二支では未を示しています。

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全てが陰爻の為、純陰とも言われます。

 

しっかりと時間をかけて広がっていくのが地、果てしなく広い空間が天。

 

宇宙は、宇と言う空間と宙と言う時間が交わったものです。

八絋一宇は、あらゆる空間を1つの屋根で覆う(あらゆる人種が家族となる)と言う理念を打ち出したものです。

 

坤は3つの陰爻で構成され、大きな意味としては、慎み深く、前に出ずに付き従って、精進すれば良い先達を得て迷うことがない。西南は坤の位置である為、居心地は良いが陰のみで停滞し、東北は艮の位置で鬼門(丑寅)だか、静かな中にも陰陽(上下)が交わっているので変化が起こると考えられます。

 

坤為地は陰爻が6つとなります。

 

1、ちいさな基礎が大きな土台となる。

 

2、今まで道をコツコツと進んできた人は、自然と本当の道が拓ける。

 

3、時や節目を守るのが第一。目先の効果よりも始めから終わりまでがしっかりと区切られている事が大切。

 

4、才能、言動を慎む時。そうすれば、良い事があるわけではないが、悪い事が起こらない。

 

5、謙虚さを忘れずに進めば大変良い時期。

 

6、本来飛躍できるもの同士で潰しあい、大きな損害を被る可能性がある時期。

 

大きな流れは乾と似ていながらも、あくまでも地であり、陰である為、常に静位を守るのが坤です。

 

坤の短所は動かなくなること。静かにしながらも動く事が大切です。

 

東洋医学では、空間的には右上。

 

顔で言うと、左上の額。

 

手で言うと、左手小指側の中手骨付近。

 

人体全体で言うと、右肩・上肢後ろか左肩・

上肢前。

 

内臓では、脾胃。

 

上下左右の通路。

 

 

乾為天 

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八卦の順序は大きく分けるとふた通りありますが、どちらも初めにくるのが、乾です。

 

乾は陽爻3つで示されます。

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陽気が上中下全てに充満している姿です。

 

太陽のように充満した陽気。

 

一見恵みばかりのようですが、功罪共に備えています。

 

そして、六十四卦では乾為天として示されます、乾が上下に2つ重なった形です。

 

この卦の意味は元亨利貞。

「気が大きく通る為、少し控えめなくらいが丁度良い」

と言う意味です。

 

乾為天には六爻あり、気が下から上に通ります。これは過去から現在をもあらわしますが、現在がどこかを定めなければ過去と未来は分かりません。

 

6つの事象。

1、才能はあるがそれを発揮する場所ができていない時期。

 

2、才能が知られて来たが飛躍するには、良識ある人の指導が必要な時期。

 

3、才能を発揮しながらも、周りからも愛されるように、その時々を振り返り反省する時期。

 

4、足場がしっかりして来たので、いつでも飛び立てる時期。

 

5、大きく飛び立っているので、それをサポートしてくれる人が見つかると良い時期。

 

6、高く飛びすぎて、落ちる事を恐れ、ついていける人がおらず孤独な時期。

 

人の一生、陽気の生長から、衰える直前まで、才能の萌芽から飛翔、墜落の直前の兆しまでを龍に喩えて示されています。

 

東洋医学では、空間的には右下。

 

顔で言うと、左下の法令線から顎の辺りを示しています。

 

手で言うと、左手小指側の手首。

 

人体全体で言うと、右足後ろか左足前。

 

内臓では肺。

 

色んな角度や大きさで見る事ができ、それによって意味合いが若干変わったり、真反対の意味となったりします。

 

 

 

 

六十甲子

易を細分化していくと、八卦の次には六十四卦となります。

 

易占では、八卦を上下に重ねる事で、六十四種類としており、一年も六十四卦でも表現できます。

 

大きく見ると、六十甲子として、六十年が1つの区切りになります。

 

これを陽気の加減と見ると、ここから先は陰気の加減。

 

六十歳以上は、養陰によって百二十歳まで生きる事ができ、生を全うする事で、真人或いは仙人と言われるようになります。

 

肉体だけに焦点を当てていると、そんなバカな!と思いがちですし、それは人の夢、妄想と考える人もいるでしょう。

 

しかし、易の考えを普遍性の基準とすると、生を伸びやかに、活き活きと過ごせた人は、形がなくなったとしても、雲散していくエネルギー(気)は良い情報として、浮遊し、どこかの命にその情報が宿ってもおかしくないと思っています。

 

誰かが亡くなった時に悲しみにくれるよりも、よう生きたな!最後まで元気やった!とか苦しんだとしても、一生懸命生きた姿は誰かの心の力になります。

 

清流が、流れる川の魚たちに水の恵みをもたらし、海へ流れて微生物の栄養となるように。

 

そして、その水、その空気を知らずに受け取った人にも、その恵みはもたらされます。

 

それが次代の本性の1つとして、又受けた人、赤ちゃんに宿るのではないでしょうか。

また、天地に相和した人にはその恵みが感性として受け取れるように感じています。

 

巡り行くのは季節だけではなく、その人が生で得た喜び、悲しみも、又少なくなったり増えたりしながら、色んな人へ伝わる気がしています。

 

幼い子は誰かが笑うと、その気に当てられて共に笑い、誰かがなくと共に泣きます。周囲の気に同調する能力、天地の気と調和する能力が高いからです。

 

そして、その大きな一区切りが、六十。

 

東洋医学であれば、60年、2ヶ月(60日)がこれにあたります。

 

 

 

 

 

 

 

象と数と理

  易の基本としては、これが最後です。

 

  今までは、象と理についての説明がほとんどでしたので、最後は数について少し書きます。

 

  易では、1から9までを使って表現される事が基本となっています。

 

   古典典籍が、81篇であるのは9×9から来ています。

 

  9が易において最高の数字であり、その9が二乗される事でこれより上がない事を示しています。

 

  二進法や相対性理論が、易から発揮され、DNAの螺旋構造、宇宙の星雲の渦巻き構造、その中の数と易の数、順序との整合性などから科学を見ても易の数が隠されています。

 

   しかしながら、東洋医学では象と理を作る事に力を費やし過ぎて、数は無理やり揃えているものも少なくありません。

 

但し、3、5と言う数字に纏める事は東洋医学だけでなく易を基本としたもの(東洋的な観点)全てに通じています。

 

  従って、ある物事を学ぶ際には、

 

  習・稽・工

 

  と言う指標が取り上げられます。

 

  習・稽・工とは、

まず型を教えてもらう(習)、型を稽古する(稽)、工夫する(工)と言う物事を習得する際に必要な過程を示しています。

 

  習得したものを自分の技とする為には、

 

  守・破・離と言う過程を辿ります。

 

  心・技・体の一致と言われるものも、易の観点が通底していますし、それを2、1と落とし込むと心身一如となります。

 

  5に関しても同様で、五行は昔は五常と同義であり、五常とは、

 

  仁・義・礼・智・信と言う人として当然持つべき心とその順序、過程について示されていました。

 

  全てを表すと、八種(八卦)ありますが、煩雑になる為、知りたい方は滝沢馬琴の南総里見八犬伝でも読んでいただければ、八種出て来ます。

 

  仁は他人に対する慈愛の心

  義はルールを重んじる心

  礼は他人への配慮をする心

  智は上記3つを自在に使い、

          未来を予測して行動する力

  信は上記4つの力によって、他人を信じ、   

         ルールを信じ、他人から信頼される力

 

  この5つが端のない環のように巡っていると考えています。

 

  貝原益軒が、医心方から引用したと言われる、医は仁術と言う言葉は、

 

  五常全てを備えた上で、人に対する慈愛(大慈惻隠)の心を持った人のみ行えるものが医であると喝破しているのだと思っています。マニュアルと人の心を惑わす術がいつの時代も流行していたのでしょう。

 

 

  話がそれましたが、

 

  易の基本の最後に、

 

  易にはイメージ主体派と数理主体派など様々に分かれた後、象・数・理が一致するのが易だとされるようになっていますが、これも易(1)が象理と数理と言う両儀(2)に分かれた後に、象・数・理の一致(3→1)と循環しているように、常にこの3つを意識する必要がありますが、無理やり数合わせしていないか自分で確認した上で、知識と実際を一致させて行くこと(知行一致)が大切です。

 

 

 

八卦と九宮

   東洋医学の基礎としての概念は、この八卦・九宮で一旦区切られます。

 

   なぜなら、六十四卦、三百八十四爻まで考えるとなると具体化しすぎて、本質の表現が困難になるからです。

 

  この八卦・九宮は、易の数から観ると、

 

1(太極)→2(両儀)→4(四象)→8(八卦)と言う流れですが、

 

老子が語ったと言われる道徳経では、

1が2を生み、2が3を生み、3が万物を生むと書かれています。

 

太極と言う1から両儀と言う2に派生するところまでは同じですが、四象を4種に分類したイメージではなく、太極から八卦までのカテゴリーの順番としての3として位置づけると、3になって基本イメージが確立すると考えられ、八卦で万物のあらゆる事柄や状況まで表現できると言うように考えられます。

 

同じものを見ていても数字が変わる事に注意する必要がありますね。

 

   この八卦は、陽を表現する為の四角形の中を区切って考えると、四正四偶(縦横の十字が四正、中央と斜めが四偶)から構成され、デジタルな四正(四象)にアナログな四偶(しぐう)を四隅に加えたものですので、1対1の見方だけでなく、絡み合い、流れて循環する事を示しています。

 

   陰を表現する為の丸形の中を区切って考えると、いわゆる陰陽太極図となりますが、陽の形で表現するとサイコロのような六面体となり、陰の形で表現すると螺旋状に捻れて伸びる棒のような円柱となります。

 

    あらゆる物事は変化し続け、循環しており、その最終形態を一旦八卦として表現しているのです。そして、四象では上下左右だけでしたが、八卦ではこれに前後、もしくは斜めが加わり、九宮は上下左右の間に中央を置いて、そこを中心に観ています。

 

   八卦は、陰陽を3つ重ねる事によって構成され、乾(けん)、兌(だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)と言う、8つの漢字で表現されています。

 

  人体では、離(心)、坎(腎)、震(肝)、巽(肝・心)、坤(脾)、兌(肺)、乾(肺・腎)、艮(脾・腎)

 

と考えると、それぞれの特性、イメージ、数を揃える事ができ、東洋医学の基礎理論の1つを構成するものとなります。

四象と五行

四象とは、四種の属性とそれに伴うイメージをあらわしたものです。

 

そして、五行はこのデジタルなイメージを中央から見る為のシステムとして、古代確立された偉大な考え方です。

 

方向では、四象は北、東、南、西。

                    五行では中央が加わります。

 

季節では、四象は冬、春、夏、秋。

                    五行では長夏が加わります。

 

人体の絶え間なく動くシステムとして、

上下の陰陽が心腎、左右の陰陽が肝肺。

                   つまり四象は腎、肝、心、肺。

                   五行では脾が加わります。

 

と、言うのが一番イメージしやすいでしょう。

 

四象は属性を区別する為の象徴として、それをどこから見るかと言う、実用性を備えたのが五行と言うわけです。

 

太極と無極、両儀の関係性のように、四象も両儀、五行と連なりあっています。

 

鍼灸では、人体の前と後で変わりますが、

 

先ずは上下左右と考えておくと良いのではないでしょうか。

 

上の代表は顏で、望診で観察する部分です。

 

下の代表はお腹で、腹診で観察する部分です。

 

左右は、様々な見方がありますが、幾つか挙げておくと、

 

顔の左右としての、仙骨(前頭骨の隆起部)、眉、目、頬骨、顎、耳など。

 

肩(肩ぐう、缺盆)、股関節(環跳、次りょう)、両腕、両足など。

 

若干不明瞭なこの左右にどのような意味があるのかは易を知っていると簡単に分かります。

 

  基本は下から左、上、右と順番に流れていく為、左右の状態をつぶさに見ていけば時間経過や未来予測、その場所にある意味を考察する為に用いる事ができます。

 

  但し、左が現在なら右が未来という単純な分析では正確性に欠けますので、あくまでも最初の指標としての左右という概念です。

 

  そして、ここでも太極として、陽を見る場合は上、南が基準となるので右回りですが、陰を見る場合は、北が基準となり逆転しますので注意が必要です。

 

  この四象は、八卦の中で考えると、四正と呼ばれますが、四正と言う表現をすると、前後(或いは上下)左右にデジタルに四分割しましたよ、と言う意味を持っています。

 

  つまり、まだまだ大まかに分類をしただけで、四象で見えているのは象(イメージ)ですと言っているのです。

 

  鍼灸ではアナログで人体の有様を観たいので、更に八卦・九宮に落とし込む必要があります。

 

 

 

両儀

無極、太極の次は両儀です。

 

なぜ、太極の項で陰陽学説を書いたかと言うと、太極は太極だけで太極となるものではなく、無極と両儀があってこその太極だからです。

 

無極を〇とすると、太極は1、両儀は2としてあらわされますが、これは易の全体像を示す際の数で、数も理も象(イメージ)も見る大きさによって異なります。

 

つまり、鍼灸での太極は易全体を示す際の1と太極の中の陰陽(両儀)の変化を見る際の3と言う2つの概念が隠されています。

 

分かりやすく言うと、最初に立てる太極は気一元であり、それを見るために太極を気血の陰陽として観ています。

 

さて、両儀についてですが、易全体の流れとしては、1と言う太極から2と言う両儀へ分かれていますが、この2つは、陰属性からなる陰儀と陽属性からなる陽儀とがあります。

 

物事を2つの側面から見る、或いは2種に分類する事です。

 

例えば、地球全体であれば天と地。1日なら昼と夜。人であれば男と女、父と母。人体であれば上と下、前と後、左と右と言うように。

 

  1つの概念を2つの特性、属性によって分類します。

 

これを太極として見ると、地球全体であれば、天候による地面に生えるものの変化やそこから起こる気候の変化。1日なら、昼と夜の寒暖の差や季節による長さの違い。人であれば、男女の交際や結婚。人体であれば、上半身の動きと下半身の動きとの関係性から、腹部と背部の違い、そして左右のどこに重心がかかり、それによって波動や血流、意識などがどのような偏りを見せるかなどとなってきます。

 

両儀は、属性を分けるだけでそれだけでは実際の使用が難しいため、太極に落とし込む必要があるのです。

 

易で考えると無極と両儀があっての太極と言う意味がここにあり、これは四象、八卦にも適用されます。

 

物事を細分化する方法は、2の二乗でどこまでも細分化できますが、それを分析する為には、軸となるもの、或いは枠組みとなる考えが必要だと教えてくれています。

 

その為、易では奇数は天の数であり、陽の数。偶数は地の数であり、陰の数ともされています。

 

易占では、50本の混沌、無極の筮竹から、一本取る事(太極を示す)から始まり、2つに分ける(両儀)と言う考え方をしていますが、まさにこれを体現しながら、「至誠通天、至誠不息」と唱える事で、霊性を発揮する事ができるとされています。

 

まぁ…簡単に言えば、イチローがバッターボックスに立つ前のルーチンワークが無極から太極。バットを振ってみる動作が両儀。

バッターボックスに立って初めて、又無極から太極を形成し、天地と繋がると言う陰陽両儀を行なった上で力を抜く(太極に還る)ようなものです。

 

最後は、ちょっと分かりにくかったかな?笑