易の基本としては、これが最後です。
今までは、象と理についての説明がほとんどでしたので、最後は数について少し書きます。
易では、1から9までを使って表現される事が基本となっています。
古典典籍が、81篇であるのは9×9から来ています。
9が易において最高の数字であり、その9が二乗される事でこれより上がない事を示しています。
二進法や相対性理論が、易から発揮され、DNAの螺旋構造、宇宙の星雲の渦巻き構造、その中の数と易の数、順序との整合性などから科学を見ても易の数が隠されています。
しかしながら、東洋医学では象と理を作る事に力を費やし過ぎて、数は無理やり揃えているものも少なくありません。
但し、3、5と言う数字に纏める事は東洋医学だけでなく易を基本としたもの(東洋的な観点)全てに通じています。
従って、ある物事を学ぶ際には、
習・稽・工
と言う指標が取り上げられます。
習・稽・工とは、
まず型を教えてもらう(習)、型を稽古する(稽)、工夫する(工)と言う物事を習得する際に必要な過程を示しています。
習得したものを自分の技とする為には、
守・破・離と言う過程を辿ります。
心・技・体の一致と言われるものも、易の観点が通底していますし、それを2、1と落とし込むと心身一如となります。
5に関しても同様で、五行は昔は五常と同義であり、五常とは、
仁・義・礼・智・信と言う人として当然持つべき心とその順序、過程について示されていました。
全てを表すと、八種(八卦)ありますが、煩雑になる為、知りたい方は滝沢馬琴の南総里見八犬伝でも読んでいただければ、八種出て来ます。
仁は他人に対する慈愛の心
義はルールを重んじる心
礼は他人への配慮をする心
智は上記3つを自在に使い、
未来を予測して行動する力
信は上記4つの力によって、他人を信じ、
ルールを信じ、他人から信頼される力
この5つが端のない環のように巡っていると考えています。
貝原益軒が、医心方から引用したと言われる、医は仁術と言う言葉は、
五常全てを備えた上で、人に対する慈愛(大慈惻隠)の心を持った人のみ行えるものが医であると喝破しているのだと思っています。マニュアルと人の心を惑わす術がいつの時代も流行していたのでしょう。
話がそれましたが、
易の基本の最後に、
易にはイメージ主体派と数理主体派など様々に分かれた後、象・数・理が一致するのが易だとされるようになっていますが、これも易(1)が象理と数理と言う両儀(2)に分かれた後に、象・数・理の一致(3→1)と循環しているように、常にこの3つを意識する必要がありますが、無理やり数合わせしていないか自分で確認した上で、知識と実際を一致させて行くこと(知行一致)が大切です。