読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無端如環

東洋医学を始めとして、色々な事について書いていきます。

祝由①

黄帝内経・素問『移精変気論篇第十三』に記載されている治療法の一つです。

 

原点の訳に関しては、金澤先生が「鍼灸医学の懐」に記載されていますので併せてご参照ください。

daikei.ichinokai.info

 

この祝由は、春秋時代には巫医と呼ばれる、巫と医がまだ未分化の職業の下で行われていた方法で、唐(太医署に設立された咒禁科)から明の時代(太医院に設立された十三番目の科)までは国が医療機関の1つとして設置していました。その為、この治療法は薬物療法に祈りやカウンセリング、加持祈祷等を加えたようなもの、怪しく医術としては未発達のものと勘違いされそうな記述がされる事が多く感じられますが、果たしてそうでしょうか?

 

   確かに、上記のテクニックとしての側面もあったでしょうし、日本では霊術、感応術として明治時代までは存在していたものでもありますが、易の観点と内経の観点を合わせると、

 

   祝由→導引→按矯→毒薬→鍼灸ですから、

 

   祝由は0もしくは1に当たります。気一元を考えると、術者と患者の空間、気を調え、気の乱れの原因を探るものですから、最終的には鍼をするとしても、施術する以前の隠れた前提条件となっていると考えています。

 

  つまり僕は祝由を0・混沌とは捉えず、治療法としては1と考えています。

 

   内容としては、呪符を貼りながら呪を唱えるものが、流布していますが、それ以前の空間の調和にも言及しており、鍼灸ではこの空間構築が重要だと思っています。

 

   先ずは、施術者自らの身体と心を清める事。当然日常生活、飲食に関しても節度が必要です。

 

  次に、施術空間は静かで落ち着きを持たせる事。

 

  最後に、施術者と患者の相互感応。施術者は患者の心身状況を同調することで把握し、患者は施術者の心身の安定に同調するように施術者が導く事。

 

   一見当たり前のように見えますが、これをどこまで真摯に追求しているか、そして深みに入ると、印堂穴に意識が集中し、施術者がその空間を支配できます。これは実感を伴った経験ですが、スポーツで言われるゾーンの状態を意識的に作ります。

 

   鍼灸では、場所、雰囲気、話し口調、八綱弁証、診察等の中で作っていますが、これを意識しながら無意識に落とし込んでいる人と意識せずに天然のままの人では、色んな面で異なります。