無端如環

東洋医学を始めとして、色々な事について書いていきます。

儵と忽

荘子   応帝王編に書かれているお話です。


僕はこのお話をこういう風に(今は)解釈しています。


儵(しゅく)も忽(こつ)も時間が短い事をあらわしている漢字です。


慌てていたり、短い時間で混沌としたものを1つの見方でしか区切らなければ、混沌はなくなるけれど、後にはなにも残らない。


じっくりと、多元的にものを見ると、今ある事象、目の前のものの彩も様々な相を見る事ができると。


つまりは、東洋医学の根底となっている観点で、この観点から外れておらず、時系列で繋がり、可逆性があり、始めと終わりも繋がっているものは譬え、出所がどこであれ東洋的な思想と一致しており、それを踏まえていなければ東洋的な思想、方法ではないと。


東洋的で思想、方法が全てと正しいとか間違っているとかではなく、


あらゆるホリスティックなものの根底にはこの考え方が流れているはずだと思っています。


従って、東洋的な手法、技法、鍼法の中でも、この根幹に従っているものと、現代社会に従っているものとを自分の中(太極)では区別しています。